高校野球の激戦区、静岡県で近年「ミラクル聖隷」として注目を集めている聖隷クリストファー高校野球部。
そのチームを率いるのが、数々の実績を持つ名将・上村敏正監督です。
浜松商業高校を春夏合わせ6度も甲子園に導いたその手腕は、多くの高校野球ファンが知るところでしょう。
しかし、上村監督自身の人物像については、意外と知られていないかもしれません。
そこでこの記事では、静岡の名将・上村敏正監督の野球人としての経歴はもちろん、年齢や身長といった基本的なWikiプロフィールから、出身高校や大学などの学歴、そして監督を支える家族、結婚した妻(嫁)や子供(息子・娘)の有無まで、気になる情報を掘り下げていきます。
上村監督の素顔を知ることで、聖隷クリストファー高校の野球がさらに面白くなること間違いなしです。
聖隷クリストファー高校野球部・上村敏正監督の年齢や身長は?Wikiプロフィール!
それでは、聖隷クリストファー高校野球部・上村敏正監督の年齢や身長など基本的なWikiプロフィールをご紹介していきます。
- 名前:上村敏正(うえむら としまさ)
- 生年月日:1957年5月25日
- 年齢:68歳(2025年8月時点)
- 身長:180cm
- 出身地:静岡県二俣町(現:浜松市天竜区)
- 学歴:早稲田大学卒業
- ポジション:捕手、投手、外野手
68歳とは思えないほどエネルギッシュな指導ぶりで、今なお現役の監督としてグラウンドに立ち続けている上村敏正監督。
長年にわたり高校野球の指導に携わってきた、まさに大ベテランの監督です。
身長は180cmと、指導者としても非常にがっしりとした体格をしており、選手時代は捕手や投手、外野手など複数のポジションをこなしていたことからも身体能力の高さがうかがえます。
その豊富な経験が、現在の監督としての指導にも活かされているのだと思います。
長年にわたる経験と人間力が選手たちの成長を支えており、まさに「頼れる指導者」として、聖隷クリストファー高校の野球部を支えている人物なのです。
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聖隷クリストファー高校野球部監督・上村敏正の経歴
続いて、聖隷クリストファー高校野球部監督・上村敏正の経歴についてです。
早稲田大学を卒業後、上村監督は教員となり、母校である浜松商業高校のコーチとして指導者の道を歩み始めました。
翌1981年には静岡県立御殿場高校の監督に抜擢されたのですが、3年間で1勝も挙げることができないという厳しい現実に直面します。
若い監督にとって、これはかなりきつい経験だったことでしょうね。
この3年間は本当に長く、ずっと暗闇を歩いているような感覚だったと思います。
ただ、この挫折があったからこそ、後の成功があったのかもしれません。
1984年、再び浜松商に戻った上村監督は、部長兼監督として甲子園出場へと導きました。
ただ、甲子園では自身は監督としてではなく部長の位置につき、副部長でコーチの森下知幸さんを監督として甲子園に挑みました。
なぜ監督ではなく部長として甲子園に挑んだのかは明らかになっていませんが、おそらくチームのことを最優先に考えた上での判断だったのかなと思います。

その後の浜松商での実績は見事なものでした。
春4回、夏2回の甲子園出場を果たし、1986年の選抜では前年に敗れたPL学園を相手に、監督として甲子園初勝利を成し遂げ、1988年の夏の大会ではベスト8まで進出を果たしました。
御殿場時代の苦労を考えると、監督としてかなり自信もつき、当時の盛り上がりは凄まじかったはずです。
1997年に一度浜松商を退任していますが、再度、浜松南高校で監督復帰。
2009年には掛川西高校を率いて春の選抜出場を果たしました。
そして2017年春、聖隷クリストファー高校の副校長に就任すると、同年秋からは監督も兼任することになりました。
40年以上のキャリアの中で、様々な学校で甲子園の地を経験してきた上村監督は、素人から見てもまさに名将だと感じざるを得ません。
御殿場時代の挫折から這い上がり、名門・浜松商で結果を残し、その後も各校で実績を積み重ねてきた上村監督。
この豊富な経験と不屈の精神力こそが、聖隷クリストファー高校野球部の甲子園初出場へと繋がったのでしょうね。
上村敏正監督の出身高校と大学の学歴は?
上村敏正監督の出身高校
続いて、上村敏正監督の学歴についてです。
上村監督は地元の二俣中学校から浜松商業に進み、1975年の夏、3年生として甲子園に出場しました。
チームは3回戦まで勝ち進んだのですが、驚くのは上村監督が背番号1を付けながら捕手だったということ。
普通、背番号1といえばエースピッチャーですよね。
野球のことにあまり詳しくない私でもそのイメージが強く、高校野球を含めプロ野球やメジャーリーグ、アニメ漫画の世界でもやはりエースナンバーは1です。
それなのに捕手って、かなり珍しいケースだと思います。
きっと投手としても優秀だったけれど、それ以上にチーム全体を見渡す能力やリーダーシップが買われていたんでしょう。
この経験が、後に様々なポジションの選手を育て、柔軟な戦術を駆使する監督になった土台になっているのかもしれませんね。
上村敏正監督の出身大学
早稲田大学では、甲子園経験者なら硬式野球部に入りそうなものですが、上村監督は準硬式野球を選択。
ここでは捕手、投手、外野手と複数のポジションをこなし、在籍した8シーズンのうち7回も優勝を経験したそうです。
準硬式を選んだ理由は分かりませんが、結果的にこの選択が良かったのかもしれません。
一つのポジションに縛られず、野球全体を俯瞰して見る目を養えたでしょうし、何より勝利への執念も身に付いたはずです。
早稲田という文武両道の環境で、技術だけでなく人間性も磨かれたのでしょう。
現在の指導スタイルを見ていると、この大学時代の経験が大きく活かされているように思えます。
上村敏正監督の家族は?結婚して妻(嫁)と子供(息子・娘)はいる?
グラウンドでは厳しい表情を見せる上村敏正監督ですが、プライベートではどのような顔をお持ちなのでしょうか。
気になる家族構成について見ていきましょう。
息子さんは静岡北高校の出身だそうですが、残念ながらそれ以上の詳しい情報、例えば息子さんの年齢や学歴、経歴や現在の職業、奥さんや子供たちの顔画像などは一切公開されていませんでした。
子供たちが野球をしていたという情報も確認されていませんが、学生時代に野球経験がある可能性は高そうですよね。
上村監督が68歳ですので、子供は現在30代〜40代くらいになっているのではないかと推測されます。
家庭を大切にしながらも、外では監督として選手たちの成長を支えている上村監督。
長年にわたる厳しい監督業を続けてこられた背景には、家族の温かい支えがあったことは間違いありませんね。
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まとめ:上村敏正監督の年齢やWiki経歴と学歴!結婚して妻と子供(息子)はいる?聖隷クリストファー高校野球部監督を紹介!
今回は、聖隷クリストファー高校野球部を率いる名将・上村敏正監督についてご紹介しました。
最後に、記事の内容をまとめてみましょう。
- Wikiプロフィール:上村敏正監督の年齢は68歳(2025年8月時点)で、身長は180cm。静岡県出身で、現役時代は複数のポジションをこなした。
- 経歴:様々な高校で監督・コーチとして甲子園で実績を残した。現在は聖隷クリストファー高校野球部の監督として甲子園初出場へと導いた。
- 学歴:出身高校は浜松商業高校で、選手として甲子園に出場。出身大学は早稲田大学で、準硬式野球部で大活躍した。
- 家族:結婚しており、妻と3人の子供(息子2人、娘1人)がいる。
上村敏正監督の経歴や学歴、そしてそれを支える家族の存在についてご紹介しました。
昭和、平成、そして令和と3つの時代で、選手としても指導者としても輝かしい実績を残してきた静岡が誇る名将・上村敏正監督。
これからもその卓越した指導力で、聖隷クリストファー高校野球部をさらなる高みへと導いてくれることを期待しています。
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